四六時夜光註の擬態

内なる辺境をめぐる断片

私は魚

 熱がどこから生まれて伝わってくるのかわからなかった。
 たぶん日なたに移動されたせいだろう。
 どこか故障したのかもしれない。
 でも私の鉢には故障するような箇所はなさそうだし、目を覚ましたときにはいつもよりはっきりと明るかった。
 背中の下に敷き詰められている砂利も、正面から直角に降り注ぐ透明な粒子の入り混じった空気の雨も、熱を奪って私を冷たい人間に変えていきそうなものなのに、身体はどこかにある熱そのものと、さらなる熱さに対する切望のためにあえいでいた。
 まるで身体が死をもとめているかのようだった。
 やがて私の前に現れて、忘却の泉に浸した冷たい手で、この頬を冷やしてくれるはずの誰かのことを思いだそうとする。
 もう一度その人に会えるという甘い期待は、すぐに苦々しい幻滅にかき消される。
 あれは誰だったのだろう。
 いまとなっては、その氷のように純然な肌の輝きも、怒りに似た熱さに融解して、永遠に取り戻すことが不可能になってしまうのではないかと私を怯えさせる。
 それが誰であるかも知らないままに、先走った不安が意識の繊維を一本いっぽん脱色して細らせ、私は絡まった記憶の糸をほぐしてたぐりよせようとすることさえ放棄して、甘い諦めの温かみを下腹部に拡げていく失禁の最中に似た快楽に身を浸しつづける。
 このまま眠ってしまいたい。
 目を閉じたままいると、身体は暗く口を開けた深淵にどこまでも引き込まれていき、落下することによってかえって重力から自由になったかのようにしだいに軽くなっていくのを感じる。
 重さはグレーターで粉末状に削られてサラダに降りそそぐ白いチーズのように、肉体を離れて暗闇のなかへ散りながらゆっくり下降していき、私は自分の重さがうしなわれていくことを肯定的にとらえて満足を覚える。
 こうして私の身に訪れた充足をだれも否定することはできない。
 私が味わっているのは、いっこうに思いだせず、透明なままで、その存在の落とす影すら踏めないでいることの焦慮にみちた不足状態も含めての充足なのだ。
 もう一度日陰に入れば思い出せるだろうか? 
 あるいはこの水のない鉢自体から抜け出せば? 
 ただ、それは会えるのとはちがう。思い出だけでは、終わりのその先へ進むのに、なんの役にも立たない。
 熱は太陽というより下のほうからくるのではないか。
 地中の深いところに埋まっている太古の生物の骨が、何かの拍子に動きだそうとしているという可能性。
 その運動が放つエネルギーがいま、分厚い土の層を通して私の背中に伝わってくるのだ。
 平べったくて大きな板のような骨の周りに、たくましく伸びた強そうな骨がいくつか並んでいて、それからもっと小さく繊細な骨たちが賢いカーブを描いていくつも散らばっている。
 かつて地上を跋扈した凶暴な肉食獣を、地層の牢獄へ追いやった滅びの呪文の効力が、長大な年月を経て失われようとしているのかもしれない。
 この空想は私を少し楽しい気分にさせた。
 だけど考えてみれば、本当の牢獄――それは時間の牢獄にほかならないだろう――の内側に閉じ込められているのは私たちのほうで、死滅することはその外側へ解放されることではないのだろうか。
 そして実際に古生物が動きだす可能性はゼロだった。

 まだそれが自分のものであると馴染まない体温を抱えながら半身を起こし、時間を捜し求める。
 それはわれわれを閉じ込めると同時に、立ち上がって歩きだすために手で支えたり、ときどき立ち止まって身体をもたせかけ、休息したりするための壁にもなる。
 壁にもたれて深く息をしてみたい。
 地面についた肘の先が重たくて、不安定になった重心を予測値の内側に引き戻すために手首をひねると、そこに見慣れない腕時計が巨大な蛭のように絡みついていた。
 円形のガラスを覗きこむと、私が思っていたのとは違ってそこには時間など存在せず、ただ時刻と呼ばれる図形が、数字の並んでいる円盤の上に昆虫の標本のようにピンで留められて死んでいるだけだった。
 左の手首をめがけて息を吹きかければ、時刻は乾いた翅や脚のようにぱらぱらと形を崩して、どこかへ散っていってしまいそうだった。

 見憶えのある時刻。あれは、異国語で「碧い花」を意味する名前の海に浮かぶ島国を目指した旅行でのことだった。
 何十種類もの花飾りに彩られた旅程と、大理石の柱が支える冷涼なホテル、青みがかった氷のようなタイル……絢爛なバスルーム。
 むせ返るほど、次から次へと花が降ってくる。
 花、花、花……。
 ベゴニアとハイビスカスの花弁が敷きつめられた泡の中で、恋人と海辺の生き物ごっこをしているうちに、アシカとオットセイのちがいについて口論になった。
 旅行に行ったのが、自分だったか飼い主だったかごっちゃになってしまったみたいだ。
 どちらにせよ、私たちは記憶を共有しているから、過去形に変換すれば同じことだ。
 恋人は、アシカもオットセイもほとんど同じものだと主張した。
 私はアシカとオットセイはまったくの別物で、鳴き声だって子育ての仕方だって父母の役割分担だって、こちらが見る目をもって見れば実態は似て非なるものであるのだと反論した。
 濡れた身体にバスタオルをひっかけて、疲れ果てたカモメのようにふらふらと浴室から出ていくと、部屋の時計の針は午後の十二時十七分を指していた。
 真昼の入浴タイムだったわけだ。
 朝遅くまで寝ていたのかもしれないし、すでに午前の浜辺で海水浴を楽しんできたあとだったのかもしれない。
 個性の乏しい絵葉書の並ぶ回転式のラックから、そのときの気分で無作為に一枚を選びとるのに似た、代り映えのしない毎日だったから、どんな日でもやっていることは大同小異だった。
 浴槽の縁に手をかけて、自分の身体を水中から引き揚げようとするときに感じる名残惜しさと、のぼせてもうこれ以上は耐えられない熱さからの解放という二重の心情が、いつも誰かのもとから立ち去るときの私の気分と重なる。
 頭はぼんやりとしたまま、一度は振り返ってみるものの、そこにいるのはもはや見知らぬ他人でしかなく、姿がぼやけ、遠くにかすんでしまうほどの距離まで離れてから、その場に置き去りにしたものが、ほかならぬ自分自身の抜け殻だったということに気づくのだ。
 ときには、そのことを理解するのに何年もの年月を費やさねばならない。
 いま私は風呂の代わりに乾いた砂のなかに浸かっている。
 地中深くからやってくるように思われるが、結局はどこからなのか判然としないこの熱の発生源は、じつのところずいぶん前から私にとり憑いているもので、いまになって急に顔を出したというような類のものではないのではないか。
 私が酸素を採りいれるたび、それは燃焼速度を増して、雨すらも鎮めることができない。
 いつか燃え尽きて冷めてしまうとき、そこに私はいるのだろうか。
 もちろん、私どころか誰も存在しないだろう。

 カメラがパンして私の死体を映しだす。
 正確には死体ではなく、まるで死んだみたいに、あるいは生きていない、何か人形じみた物体として横たわっているだけの身体なのだけど。
 視点は足先から、衣服越しに、舐めるようにというよりはむしろ風景写真に求められる適正な距離を保って、ゆっくりと平行移動していき、私の曲げられた左肘を折り返し地点にして、視野の左上方へある手首へと斜めに上っていく。軍手をはめた腕の先端で停止すると、そこに巻きつけられた革のベルトの腕時計にズームし、時刻に注意が引きつけられる。
 短針が十二と一の間。長針は三と四の間。
 こんなワンシーンにさえ時刻があるということに驚かされる。
 忘れられた合言葉を思い出させ、再び強調するかのようにカメラは時刻を刻印するのだ。
 十二時十七分やその他のさまざまな個別の時刻が大事なのではなく、時刻(という制度)そのものが大事なのであり、たとえ時計自体が故障か電池切れで止まっていたとしても問題はない。
 数字と数字の間で、針が形づくっている何らかの図形。そこに定着してしまう前までは、一匹の蝶だったかもしれないもの。
 悪党に襲われたわけでも、落雷に撃たれたわけでもなく、私はいつの間にかこの荒野に横たわっていて、この場面で私に与えられた唯一の指示――〈半身を起こして腕時計を確かめる〉――にしたがい演技をするのだが、主体的に時計を確かめるのは結局のところ、私ではなくてカメラのほうなのだ。
 私の胸より上の部分はいまだ映像の外側にいて、カメラが首を振るのを待っていた。
 レンズに頭部がとらえられさえすれば、自分が何者であるのかはっきりするとでもいうような、熱に浮かされた期待とともに。
 こうして映画の出演者になったという妄想も、私の気を一瞬のうち紛らわせた。
 立ち入り禁止区域の向こうとこちら側を往復する密猟者ないしは案内人。
 だけど、自分ではルイス・キャロルの物語に登場する白ウサギにでもなって、少女をそれとなくおびき寄せる役のほうが似合っている気がする。
 穴への落下。それですべては終わる。
 突然、どこからともなく聞こえてくる「止まれ、動くな!」という素っ頓狂な声に制止され、私は途方に暮れてしまう。
 それまで進んでいたのが、どの方角だったのか、日の差すことのない銀幕の内側で、見極めることの不可能な、似たり寄ったりの灰色の遠景に囲まれて怯えている。
 銀幕というよりは、透明なガラスの内側で。

 昨日は何百人、今日は何千人と、毎日の新型流行ウイルスの感染確認者数が発表されるのを、望んでもいないのに突きつけられる日ごとの運勢占いの結果のように飼い主は聞き流しているうちに、仕事がなくなり、家に閉じこもるばかりになった。
 仕事がなくなるのはあっという間で、労働者として忙しく動き回っていた過去の日々は、雪が溶けるように跡形もなく消えてしまったみたいだった。
 それまで働いていたことが嘘みたいに思えた。
 家に閉じこもってからは、音楽を聴き、本を読み、郵便物を眺めて暮らすようになった。
 それはそれで快適そうな生活に思えた。
 ただ、いつまで生活費がもつのか、私の餌代がもつのかという不安は、仕事があったときよりも当然ながら大きくなった。
 家には毎日何かが届く。これはある意味では大きな発見だった。
 それまで私の飼い主は、郵便受けに届いたものは、光熱費などの支払い明細書以外、見向きもせずにゴミ箱にそのまま捨ててしまっていたけれど、家にばかりいて時間が余ってしまったために、読書に飽きてしまうと、届いた郵便物に片端から目を通すようになったのだ。
 すると、これまでは届くというより、郵便受けをただ通過していくだけだったものたちが、急に意味を持ちはじめ、それらを無視してしまうことはできなくなっていた。
 中でも一番多かったのは私宛のラブレターで、これほどたくさんのラブレターが私に送られてきているという事実に驚いた。
 これまでもそうだったのだろうか。
 読まれもしないで無慈悲に捨てられていった数々の愛の言葉たちのことを思うと、申し訳ない気持ちになった。
 飼い主は私に、ガラス越しに文面を見せたり、音読してくれたりした。

あなたのことが大好きです/ あなたが眠っているあいだ、地球の裏側に架かった虹の下を、わたしは鳥になってくぐりぬける/ どんな色も、あなたが持ち合わせている夜に入り込むことはできない/ あんたのことが食べちゃいたいな/ なんて美しい背鰭と尾鰭/ 今までも、これからも、わたしはあなたのことを、あなたのことだけを愛しています/ 焼き尽くされ、灰になった森の上を、あなたは裸足で歩きつづける。わたしは黒焦げで眠りつづける/ 塩かき作業員募集・朝から夕まで。経験不問/ 新築戸建・駅から徒歩十二分・見学会開催。閑静な住宅街、庭と駐車スペース付き……

 私だってあなたのことが好きだ。
 ほかの誰かではなく、よりによってあなたが好きだ。
 でもあなたが誰だか思い出せない。
 それがあなたなのかもわからない。
 あなたって、どのあなたのことなのか、私にはわかろうはずもない。
 郊外のこざっぱりした一軒家であなたと暮らすのを想像してみる。
 車は好きじゃないからなくてもいいけど、鉄道の駅から歩いてどのくらいの距離が適正なんだろう。
 自転車があればなおいいと思う。
 一日の労働を終えて家路につく。
 車窓から見える街の灯り。夜をスキャニングする携帯端末の四角い定型句。商店街を抜けてから心細くなる虹の架からない暗闇の奥行き。くたびれた身体をつくりあげた何時間かの塩かき作業……。
 飼い主ははっとして、わきに寄せて置いたラブレターのひとつをふたたび取り上げる。
 鉢のガラスの内側から見ると、その手紙は白いボールのような球体をして、いまにもはずんで転がっていきそうだった。

除塩作業員募集のお報せ。塩に埋もれた町を取り戻せ! 気候変動にともなう降塩被害によって、摩幌[まほろ]町の住民は避難生活を余儀なくされています。降りそそいだ塩砂は風に舞って町の北東部に吹き寄せられ、徐々に降り積もった範囲を拡大させながら、町を侵食しつつあります。動植物は死滅し、家屋やビルはひどい砂漏りと塩化のために朽ち果て、使用不可になってしまいました。塩砂が降ると花や葉に穴が空きます。土の養分も吸い取られ根が腐ってしまいます。県内でも屈指の花見の名所であるアラマキ川の土手の桜も全滅です。川は集中豪塩による堆積で、静脈瘤ができたみたいに堰き止められて氾濫しました。塩砂はさらに、セミやトンボの腹を貫通し、翅を溶かし、鳥類の羽毛の隙間に入り込み、毛と毛をべたつかせて羽ばたけなくさせるので、およそ空を飛ぶものは一匹残らず姿を消してしまいました。そのほか多くの野生動物たちが、塩分の過剰摂取により死に絶えました。「まるで塩の砂漠が飛んできたみたいだ」と町民は口をそろえて嘆いております。これは従来の塩害よりもっと恐ろしいものです。このまま放っておけば、塩砂は町の中心部にまで到達し、やがては町全体をすっぽり覆い尽くしてしまいかねません。県議会では議題にあげることすら煙たがられ、政府はまったく相手にしてはくれません。そんな町は知らない、そもそも登録されていないではないか、未登録である自治体に支援部隊を送り込むことなど不可能だとまで言われる始末です。ほとんどこの町は見棄てられたも同然です。しかしそんなはずはない。わが明媚なる摩幌の土地は、厳然としてここに存在しているわけであります。それを否定するなど馬鹿か間抜けの出来損ないの所業にほかなりません。これは危機なのです。この地がもし不幸にも陥落せられたその果てには、塩砂はとどまることを知らずに猛威を振るいに振るって南下しはじめ、山脈を越えてついには大都会さえも丸呑みにし、最終的に国土全体を一輪のたんぽぽも生える隙間もなく死の砂漠に変えてしまうことでしょう。もう一度宣言いたします。これは、国家にとって危急存亡の秋なのです。ここが破られたら最後、あとは一挙に、すべてが音を立てて滅びゆく。いわば摩幌町は戦線にあり、最後の砦たる役割を担っていると言っても過言ではありません。この地で埋もれた町を掘り起こし、いまなお町を襲ってその中心部にまで到達しようとしている塩砂の軍勢を少しでも食い止め、塩砂漠化までの時間稼ぎをしなければなりません。そのあいだに、われわれは新しい生活拠点を見つけ出すのです。もし負けることが決まっているのだとしても、見てみぬふりは許されない。われわれは助けを求めています。ご支援を、援軍を、最後まで一緒に足掻いてくださる人員を募集いたします。貧しい町ではありますが、精一杯の待遇ができますよう、引き続き県との協力体制の構築を目指して努力いたします。 摩幌町町長 牛蜜李々子

 すっかり中心を失ってしまった生活を投げ出して、前線での塩かき労働の作業に加わる決意を飼い主がしたのは、ある意味では自然な成り行きでもあったし、人生をさらなる骨抜き状態にしてやろうというひそかな屈折した愉しみからきているものでもあった。
 あの町長からの白いラブレターは、飼い主をおびき寄せるための白ウサギだったのかもしれない。
 塩かきなんて、途方もなく馬鹿げた行為に思えた。でも飼い主には選択の余地がないように感じられた。塩かきは彼のための仕事なのだ。
 この労働にいったいいくらの対価が支払われるのか、具体的なことは不明だったけど、そんなことはどうでもよかった。
 何かをきっかけに、というのではなく、ちょっとした気分で、彼は人生だとか人間の営みというものに対して、一見無意味で無価値に見える行為をやってみせることを通じて、それらを裏切ってやろうという衝動に駆られることがあった。
 もちろん、塩害だか砂漠化だか知らないが、そういった被害に苦しんでいる人や動物たちのことを思う気持ちも少しはあった。
 足掻くこと自体が無意味だとは思わない。
 そうではなくて、このままこうしていれば進んでいくはずだった自分の道順を、なんの理由もなく外れていくことが無意味ではないかと思うのだ。
 しかしそのようなある種の裏切りの意図が底にある以上、どんなに意味のない行為に見えるものも、目的をもって行われる人間らしい営為全般が放つ作為的で模造品めいた欺瞞の匂いをまぬがれることはできないだろう。
 それを承知の上で、それでも飼い主は人生を、他人を、自分自身を裏切ってみたかった。
 憎んでいたからではない。裏切ることは、彼が見出したおそらく最高の愛のかたちなのだ。

 けっきょく、私の鉢は日なたに置かれたままだった。
 飼い主は塩かき作業員としての登録のために一日かけてどこかへ出かけていった。
 彼は帰ってきてから話してくれた。
 登録所は町役場からは離れた運河のほとりにあった。
 運河は銀色の光沢を浮かべて停止状態にあり、鉄棒のような匂いがした。
 入り口の脇に「除塩作業員登録会場」という看板が立っていた。
 建物の中へ入ると、そこはがらんとした無機質な倉庫のような空間で、案内係も彼以外の応募者も誰もいなかった。
 部屋の中央まで進むと、受付があるとすればそこだろうと思われるカウンターがあり、その上には、複雑にカット面を組み合わせた巨大な水晶の玉のようなオブジェが据えられていた。
 玉というよりはもっと角ばっていて、多面体にしては直線よりカーブが目立っている。
 目を凝らすとその水晶の内部で何かが黄金色に光を発しているようだった。
 その静かな光は、どこかで飲んだウイスキーオンザロックを思い起こさせ、グラスの内側で大きな丸い氷が、回転しながらコロンと音を立てるのが聞こえたような気がした。
 口の中に侵入してくるミントの葉を噛み潰しながら啜る甘酸っぱいモヒートや、チーズのかけらとオリーブの実を傭兵の隊列ように皿に並べてから上顎で濾しとる白ワイン、お酒の種類ごとに過去のいろんな恋人のいろんな仕草と体温が醸成されていて、思い出すだけで酔ってしまいそうになる。
 あの丸い氷山のような氷の漂う南極風のウイスキーオンザロックばかり飲んでいたのは誰だったろうか。
 恋人の奥歯に残された蒸留酒のひんやりした熱が、彼の舌先に触れて吐息に着火する。
 口腔内を融かしながら熱は心臓の暗がりまで下っていき、黒く焦げた血を身体中に走らせて、彼はカラメルのように熱くて透きとおった冷たさの中にとり残される。
 そこからずいぶん出てきていない。あっという間に二十一世紀が過ぎていこうとしている。

 アルコール飲料の効力に、時空を超えて幻惑されたのかと思うほど唐突に、水晶玉から女の人の声が聞こえてきた。
 氷が溶解して染み出したような涼しげな声だった。
 その声が話す言葉は、細かなさまざまの色彩のタイルの組み合わせを並べたように、さりげない美しさで縁どられていたけれど、全体として論理的な意味のあるまとまりを形成するには、何か大事なものが欠けているようだった。
 あるいは、通常話される言葉より、大事な何かを多く含みすぎていて、彼自身がその充足に身を委ねることのできる聞き手ではなかったのかもしれない。
 それは音楽に似ていた。
 女の人の声は、貝が殻を閉じたようにすぐに消えてしまった。

 言葉について私は考える。
 言葉は私を導き、少し先にある過去と出会わせる。
 誰かと出会い、愛し合うのにも言葉が必要なのだとしたら、言葉は発せられた途端、その誰かとの愛を過去に変えてしまわないだろうか。
 まだ何語にも翻訳されていない、言語以前の言葉に触れてみたい。
 私は言葉を話しているかぎり、どこへも行くことができない。
 だけど、言葉でなければ伝えることができない。
 ぎゅっと抱き寄せるのも、怒りまかせに突き放すのも、身体の動きは言葉だ。
 
 そこまで私が考えたとき、飼い主も同じことを考えていたと思う。
 それを最初に考えていたのは倉庫のなかでのことで、それをもう一度、いまここで、なぞっているということかもしれない。
 登録所入り口のほうで何か軽いものが擦れるような乾いた音がした。
 びっくりして振り向くと、先ほど入ってきた扉の脇に、プラスチック製のシャベルがひとつ倒れている。
 雪かきの時期になると、ホームセンターで大量に売り出すような先の平べったいシャベルで、運河のほうからやってくる湿った風を受けて、わずかに向きを変えたように見えた。
 はたしてこれが正式にシャベルなのか、それともスコップという名前ではないのかという疑問が浮かんだ。
 入り口の扉まで歩いていき、その二重の名前に引き裂かれた道具を手に取った。
 何か名前の手掛かりになるようなものが見つかるかもしれないと期待したけれど、その物自体には何も書かれておらず、シールやバーコードもついていなかった。片手に持って花壇や砂場などで使うほうがシャベルで、ここにあるのはスコップなのではないだろうか。
 土の中へまぎれて見失ってしまいそうになる答えを、慌てて掘り起こそうとする。
 かいてもかいても掬いだすことができずに、むしろ奥へ奥へと追いやってしまっている。
 言葉で書くのとシャベルでかくのとは似ている行為なのかもしれない。
 飼い主はシャベルを担いで建物を飛び出すと、運河に沿って舗道をひたすら速足で歩いた。
 これから何が起こるのか、自分がどんなふうになるのか、まったく予測がつかなかった。
 銀色の水の表面に、皺を寄せたような輪っかがいくつも拡がって、互いにぶつかっては打ち消しあっている。
 霞んだ運河の向こう側には、何か巨大な工場のような建物の、色のない壁が見えた。
 彼の足もとに、名前の分からない白い花が萎れて落ちている。思わず拾い上げていた。その瞬間に指先が凍りつく。
 撫でてみると、不自然な艶が皮膚に引っかかって切れそうに冷たい。
 偽物の冷たさだった。
 防塩用の合成樹脂でできた植物は、思いのほか優しい死をまとっていて、それなりに美しかった。
 どこまで歩いてもだれにも会わなかった。
 海のほうから這い上ってくる風が重たかった。重たい風は彼の背中を押した。彼は歩いた。
 シャベルの柄が肩に食い込んで、それ自体はそこまで重たくはないのに、その形状のためか、肩の窪みの縁や骨のでっぱりにあたって、歩く振動が増幅されながら伝わり痛かった。
 彼は歩くのに疲れ、道ばたに座り込んだ。
 一台のトラックが通りかかり、少し先で停車した。荷台に何人かの人が乗っている。
 彼らが話しかけてくる。いますぐにでも現場に出てほしいのだ。
 スコップともシャベルとも呼べる道具を担いで歩いていたのだから、すぐにでも出られると思われるのも当然のことだ。
 飼い主はトラックに乗車せず、もと来た道を引き返した。
 運河沿いの舗道に、また白い花が落ちていた。
 先ほど自分が落とした花だろうか? それともべつの?
 自分が落としたのだとすれば、来た道を見失わないための道標のようだ。
 もうひとつ白い花が落ちている。
 同じものが二つ以上あるということは、道標としての機能をなくしてしまう。
 彼は花に導かれるように歩いた。あるいは導かれることのないように歩いた。それとも、導かれるふりをして歩いた?
 花を越えてからは、もう花はそこになかったけれど、導かれたかのような余韻を歩いていく先に見出しつつ歩いた。
 最後には登録所に戻ってきて、飼い主はスコップをもとあった場所のあたりに立てかけた。
 倉庫のなかを覗いたが、やはり誰もいないようだった。
 カウンターの上の水晶のようなオブジェが、私の入っている乾いた鉢のように見えた。

 飼い主の話はそこまでだったが、実におもしろくない話だと私は思った。
 私は自分のスコップを取り出して鉢の掃除をはじめた。
 砂利が熱をとじこめて、鉢の内部に充満し、外気(この場合は飼い主の部屋の空気のことだけど)が冷えだすとガラスが曇った。
 私のいる場所からは、飼い主の様子が見えなくなった。
 私は時刻を確かめようと時計を捜した。
 時計のなかにはあらゆる時刻があり、あらゆる時刻がなかった。
 私は自分の記憶を冷やしてくれる誰かのことを思いだそうとするが、失敗しつづける。
 あれは誰だったのだろう? 飼い主ではないことだけは確かだ。
 思いと裏腹に、身体はさらなる熱をもとめている。
 私は泳ぐこともなく寝そべっている。
 なぜなら、私は魚だからだ。
 いまの言葉は論理的ではない気がする。
 ひそかな充足の内側にいるのならば、泳ぐことは、ひと眠りしてからでも遅くはない。
 私は魚ではないかもしれない。
 鉢は日なたに置かれたまま何日か過ぎた。飼い主がなかを覗くと、私はどこにもおらず、小さなプラスチックのシャベルだけが砂利の上に、道路標識のようにまっすぐ刺さっていた。