四六時夜光註の擬態

内なる辺境をめぐる断片

盗潮

幾度となくためらっては揺らぐのがこの手なのか、まだ像を結ばぬ風景のほうなのか判別のつかないまま、干潟に打ち捨てられた異物の黒い光沢が警告を発しているように思えて竦んだ。生き物の屍骸より、死が緻密なぶん、偽装めいている。視力を拡張するために…

私は魚

熱がどこから生まれて伝わってくるのかわからなかった。 たぶん日なたに移動されたせいだろう。 どこか故障したのかもしれない。 でも私の鉢には故障するような箇所はなさそうだし、目を覚ましたときにはいつもよりはっきりと明るかった。 背中の下に敷き詰…

遅れてきた客のための習作

ようやくおとずれた暗闇に、安堵の息を漏らす間もなく劇場の隅で扉が憂鬱そうに開き、遅れた観客がやってくる。足もとを照らす小さな誘導灯を頼りに、申し訳なさそうに腰をかがめて、自分の座席を探してまわる。口ごもりながら何かを呟いている声がかすれて…

どこへ行くにも、迂回しなければならない。たったいま出発したばかりの家に帰るために、われわれは一度迷子になる必要がある。どこからともなく、次から次へと見知らぬ壁が押し寄せて、迷路で私たちを閉じ込めようとする。 はじめはつるつるの表面に見えてい…

甘い生活

行き場を失っても笑い声だけがいつもシェルター、っていうんじゃないけどそれだけが最後の防衛線だって気がする、うちらの陣地を示すための白線みたいな笑い声、それで護られているんだよきっと。 だから、笑おうよって思っていた。笑っとけよって。もう、だ…

サラダのように殺戮的な日

ピはルーレットの上を歩くことを覚えた。それはヒンがピとマに教えたことだった。マはいまもルーレットの片隅に寝ている。ディーラーがルーレットを回転させる。 遠心力で円盤の外側に吹き飛ばされないように、ピは真っ直ぐに歩くのではなく円の中心に向かっ…

海の見える部屋

市街地からずいぶん離れて、海の匂いのするこの部屋へたどり着いたのは、たしか二日前のことで、ここには私のお気に入りである瓶詰めの林檎のジャムが置いてあるのだが、この気温ではもうたいして長持ちはしないだろう。昼間、その瓶を一度、ほんの少しの間…

アンチクトン

誰かがここを歩いた。彼は片足だけでどこかへ行ってしまった。そうすることが、はじめから決まっていたみたいに。 おれは薄暗い人のいない道を、塀に沿って歩いていた。塀はとても高く、重たそうで、覆いかぶさるように威圧してくる。それがどこまでも続いて…

言葉

言葉が、たしかにそこにあったのだ、アルコール飲料と、絡みつく長い舌と気まぐれな呼気によって加速され、ゆがめられ、果てしない沈黙の待つ方角へ誘う言葉の放埒が、皮膚病のようにしつこく絶えず代謝を促進する、言葉の生理があったのだ。無分別に言葉は…